捨てられる命に彩りを。mizuiroのアップサイクル物語

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捨てられる命を拾い集めて

 目指すはアップサイクルの総合商社だ。彼女の手にかかれば、破棄された野菜はクレヨンに、廃プラスチックはアクセサリーに、木材は積み木に生まれ変わる。mizuiro株式会社 代表・木村尚子が話す。

「企業がノベルティに採用して下さる例が多いですね。なかには自社で廃材を出される企業が『当社の廃材が生まれ変わりました』と子供たちに渡している企業もあります」

 最初に作った商品は、破棄される野菜から作ったクレヨン。クレヨンはワックス(ロウ)と発色する素材を混ぜてつくるため、破棄する野菜の色を役立たせることができる。例えば、スパイスの残渣から生まれた『彩るスパイス時間CRAYONS』カレールーを作る会社が「商品の製造過程で、どうしても製品に適さない原料が出てしまう」「スパイスの特徴を活かした上で何か作れないか」と考え、mizuiroとの共創によってクレヨンをつくった。ターメリックやレッドペパーなどスパイスの色を活かした色合いだ。

「実は様々なものがクレヨンの材料になるんです。間伐材を使って10色のクレヨンをつくったこともあるんですよ」

 彼女の取り組みはメディアでも話題になり、様々な企業から協創を求められている。受賞歴も華々しく、2017年には「東北経済産業局長賞」、さらには東北ニュービジネス大賞の東北アントレプレナー大賞」などに輝いている。
 だが、この事業が青森の古いアパートの一室から始まったことを知る人は少ない。

人生を変えた「青」との出会い

 木村は青森で生まれ育った。幼少期から絵を描くのが好きで、ファッション誌のアパレル広告が打ち出す世界観に惹かれ、将来はグラフィックデザイナーになりたいと思っていた。大人になって地元の広告代理店に就職、求人誌や住宅情報誌でデザインの仕事をするなか、24歳で子供を授かった。

 彼女は物静かな人間ではあるが、知らない世界へ飛び込んでいく度胸があった。子供を育てつつ、2012年にフリーランスのデザイナーとして独立。ポートフォリオを片手に地道な営業を続け、飲食店からメニューや飲み放題のチラシをつくる仕事をもらってきた。企業の展示会に行って営業すると、パンフレットやパッケージのデザインも頼まれるようになった。事務所は自宅のアパート、2階建ての1階で家賃は4万円台、暮らしは充実していた。

 一方、彼女にはまだ何か、心の中にうずくものがあった。

「何か自分でプロダクトを手掛けてみたいと思っていました。また、1人娘が小学校に入学したのですが、放課後をどうしても一人で過ごさせてしまうことが多かったので、いつか、子供と一緒に使えるものを作れないかな、とも」

 心の底でずっと考え続けてきたことは、ちょっとしたきっかけを得て人生を変えることがある。彼女はある時、友人に誘われ藍染展に行ってみた。いつもパソコンで作業していた彼女の眼に、自然由来の色が焼き付いた。余談だが、フェルメールの『青いターバンの少女』の青は、ラピズラズリという宝石を砕いてつくられたもので、現代の技術をもってしても同様の絵の具はつくれない。もちろん、似た色の絵の具なら化学合成でつくれるが、自然の青には濃淡があり、化学合成の青にはそれがない。人工物だと、のっぺりとした青で塗りつぶされる格好になり、多分、それは名画にはなり得ない。

 彼女が話す。

「パソコン上で色の管理はデジタルで行われます。でも藍染には規格化されていない生の色があったのです。緑色の葉っぱがなぜ青くなるんだろう? しかもその青は淡くて深く、私は人工的には出せない奥行きを感じたんです」

 心に深く刺さったのだろう、景色のすべてが「色」と結びつくようになった。夕食を作っている時、ほうれん草のゆで汁が緑色になるのを目にし、彼女はふと「野菜そのものの色でインクは作れないか?」と考えた。すぐ動けるのが彼女の才覚なのだろう。専門家と話し、野菜のゆで汁だと腐敗しやすく、ペン先も通りにくいと聞き、「じゃあクレヨンは?」と方向転換した。

「クレヨンって子供が一番最初に使う画材ですよね。私はどうしても仕事優先で生きてきて、娘に申し訳なさを感じていました。でもこの商品なら、そんな気持ちを表現できるかも……」

 商品を使って思いを表現したい。木村はネットでクレヨンの工場を探してみた。青森になく、東北になく、全国を範囲に探してみると、YouTubeでクレヨンの作り方を動画にしている名古屋の会社を見つけた。電話をかけたら、一度、会社に来てほしいと言う。

花からつくった「おはなのクレヨン」。

「それまで私、青森を出たこともほぼなかったんです。もちろん名古屋にも生まれて初めて行きました。Googlemapを見て、どうにかクレヨンの工場にたどり着きました」

 一軒家の1階が工場で、20畳くらいの部屋に金型と窯があった。窯でロウを溶かし、金型に流し込んで冷やして固め、クレヨンにするのだ。雑然とした床や壁に様々な色がついていて、木村にはアートのように見えた。そんな中、職人はわざわざ青森からやってきた彼女の話を真剣に聞いてくれた。

「職人さんは、自分が三代目であること、何か面白い商品を出したいと思っていることなどを話してくれました。一方私は、地元・青森で破棄される野菜を使って色を出したいと話しました。例えばネギの緑色の部分は捨ててしまいますよね。これをパウダー工場で粉砕し、粉末にしてもらえば、クレヨンの緑色になるはずです。また、リンゴの皮を加工すれば赤になります。規格外のものとして捨ててしまう人参なら橙色に……」

 職人は当時30代の男性で、彼自身も様々な色がついた作業着をまとっていた。それは色を扱う者同士が邂逅した瞬間でもあったに違いない。職人は彼女の願いに首を縦に振り、誰もが半信半疑の事業がスタートを切った。

ビッグサイトで起きた「色」の革命

 2014年2月、クレヨン工場を訪ねるのもやっとだった彼女は、今度はGooglemapを片手に東京ビッグサイトを訪ねることになった。ギフトショーが開催されると聞いて応募すると、野菜の残渣を使った自然な色のクレヨンというコンセプトが支持され出店できることになったのだ。

「野菜は青森の農家の方に手伝って頂いて集めました。パンフレットは自分で作り、300枚印刷しました。会期は3日間だったので、もし1日100人くらいバイヤーさんが来てくれたらすごいな、と」

 開場後、彼女は誤算に気づいた。「お野菜クレヨン」という不思議な名に惹かれ、人垣ができ始めた。自然の色、破棄された野菜の再生、そんなテーマが理解されると、商談の依頼が相次いだ。初日の午前中だけで、訪問者数500人、300枚の名刺やパンフレットなどあっという間になくなった。ついにはテレビ局から「取材をさせてほしい」と言われ、大企業でもそう簡単には取り上げてもらえない、テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』で大々的に紹介された。

「この時は、ちょっと、何が起きたかわかりませんでした。売れ残ると思っていた初期ロットの2000セットが完売して、子供向けの製品を扱う小売店の方などが『うちの店でも売ります』と仰ってくれたんです」

 彼女は会社を立ち上げ、社名を「mizuiro」とした。青森の空や海をイメージしたものだった。その後、商品は百貨店、量販店、ネットショップ。書店で売られるようになった。

 色合いとは、もしかしたら生きた証なのかもしれない。規格外の品として破棄される花であっても、花は花として健気に赤やピンクに色づく。森を守るため伐採された間伐材も、木として生き、黒や茶色に色づく。彼女は次々、企業や自治体とコラボし、商品はお花のクレヨン、木のクレヨンなど、品数が増えていった。捨てられてしまう生命の営みに優しい視線を投げかけたい……ギフトショーでできた人垣は、彼女が商品を使って表現した思いを一瞬で理解した人たちに違いなかった。

りんごジュースを絞ったあとのりんごから生まれたスケッチブック。

「その後、様々なアップサイクルに挑戦しました。例えばリンゴジュースの搾りかすを練り込んだ『リンゴから生まれた段ボール』とか。繊維や紙には汎用性があるんですよ。ほかにも……」

 様々な産業でどうしても出てしまう残渣。これを使い、「生命」や「幸福」といった何かを表現したい企業は、彼女に連絡を取ってみたらどうだろうか。

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